久美子の家
インドを旅していたときの友人から連絡があった。
かなり久しぶりだ。8年ぶりくらいかも知れない。
色々懐かしい話をしていると昨年の1月に久美子のシャンティさんが亡くなられたとの訃報を聞いた。
そうか、亡くなってしまったのか。
天国でも芸術家やってて欲しいもんだね。
懐かしい思い出だ。
初めて会った時は5月の酷暑期だった。
毎日50℃近いエグイ時期に長距離移動なんかしてしまい疲れきっていた俺は宿代交渉などする気も起きなかったので、旅の道中で情報収集した有名なゲストハウスを目指してガート沿いを歩いていた。
ババゲストハウスと久美子の家。
ババのが綺麗でって話を聞いていたんでそっちが良いなと思っていたんだけど、歩いていた場所が悪かった。
ガートを突き進むとやたらとデカく久美子の家と書かれた建物を見つけた。
とりあえず疲れてたんで入ってみることにした。
エントランスの鉄格子をあけると宿泊客と話していたインド人のじいさんがいた。
俺を見つけるや否や持っていた古い新聞の記事を見せてきて、
『これは私だ』
とか言いだした。俺はそもそもアンタが誰だかわかんねーんだけど。
やべー分けわかんねーとこ来ちゃったよ、と思って引き返そうとしたら
『あなた何泊にする?』
俺の意思とは裏腹に、いつの間にかチェックインしちゃってて笑った。
ドミは50ルピーで3つのスペースに区切られていた。
くっそボロベッドが手前と一番奥の部屋に何台かあって真ん中のスペースは本棚と安物のジャンベとオモチャみたいな緑色のギターが置いてあった。
部屋中に落書きがしてあり夜になるとねずみが1匹出入りしていた。
初日のドミは俺以外誰もいなかった。
あまりの暑さに日中は飲み物買うことや飯食いに行く以外は室内にいることが多かった。
そんなんで夕方くらいまではバラナシで出来た友達と久美子のドミでダベったりして夕飯食いに行くって生活だった。
5日間くらい夜は俺1人って日が続いたと思ったら、そっから3日くらいは10人くらいになったりもした。
みやげ物やで買った15ルピーくらいのTシャツは洗っても洗っても色水が出てくるのにシャツの色が一向に薄くならないという不思議なものだった。
晴れてる日が多いから洗濯をすると干しに屋上へ行く。
ドミから屋上に続く階段の横には何故か洋式トイレが置かれていて、もちろん
使うことは出来ないと思うんだけど、きっと昔はあの場所にトイレがあったんだと思いながら屋上に行き洗濯物を干す。
ガンガー沿いの久美子の屋上からの景色は良くて、見晴らしがよい。(以下の写真は全て当時の物)
酷暑期になるとガート全体が姿を現しガンジス川とは思えないくらいに川が痩せ細くなる。泳ぎきるならこの時期が楽だ。
インドには重力というか引力がめっちゃ強い町がいくつかある。
俺にとってはマナリ、バラナシがそうだった。
明日には出発しようと思い起きても、『まぁ今日じゃなくてもいっか』とか思ってしまう。
結局180日いたインドのうち50日はバラナシにいた。
久美子さんは犬と共にたまに掃除をしにドミにあがってくる。
あるとき体調悪そうだったんで掃除を手伝ったら
『あんたはしっかりしてるね、だらしないけど』
と褒めてんだか何だか分からない言葉を頂いた。
『ついでに本を一箇所に集めといて、頼むわ。あと今日ペンキ塗りだから』
と恐ろしいことを言い残して謎のインド人が2人上がってきた。
ペンキ塗りってなんだって感じだった。
まさかこのクソ汚ねー壁を塗るのか?
塗るのは良いけどペンキの匂いで寝れんの俺?
とは言いつつも仕事は始まってしまった。
仕方ないので本棚の本(小説や都市伝説とか実話ナックルみたいな犯罪物のコンビニサイズの漫画)を片っ端から集めてはどけて2人の職人の指示通りに動く3人目の塗装見習いとなってしまった俺と所構わず走り回る犬の大活躍により部屋はあっというまに白くなった。
久美子さんのリクエストで達磨の絵だけは残された。
絵の周りの壁は黒茶色できっと今までも塗りなおす度に残されていたのかも知れない。
今もあるのかな。
ペンキくさくて寝れたもんじゃなかったけど寝た。
朝起きると1階からいつもの号令が響く。
『あーーーさーーーだーーよーーー!!!!ごーーーはーーーんーーー!パンモゴォーーーーーーーーー!』
いまも思い出の中でシャンティさんは元気だった。